お通夜とは

 

お通夜とは、身内(家族)・親族・ごく親しい友人・知人が集い故人との最期の夜を夜通し、線香・ロウソクを絶やさずお守りする行為であります。

故人を偲び、親しい人が思い出・功績などを語り、故人が穏やかな旅立ちを祈念する供養の儀式である。

お通夜(通夜式)

生花

 

本来お通夜は釈迦の弟子達が釈迦の説法を故人の面前で語り合う七日間の儀であったと伝えられています。

それらの風習が時代とともに簡略化され、葬儀告別式の前日(前夜だけ)に行われるようになりました。

葬儀費用に関しても、故人に出来る限りお金を掛けて見送ることが親への孝行と大正時代頃から認識され始めたと考えられるでしょう。

儒教の考え方にも適していると、しかし太平洋戦争で苦しい日常が訪れ、終戦以降日本国民が前を見て生活を始めざるを得ないとき、死に逝く故人に対して、その時出来る最大の願いが!、成仏を願わざるを得ない時代が続いた。

平成の時代に入り、数多くの災害が日本を襲いました。その時行政も・国もそして身内も短時間での葬儀は直葬しかできなかった。

現実は現実として受け止め、心に深く故人の功績をたたえ、お見送りすることが最も大切なこととわたくしは考えます。

平成から令和にかけての通夜の概念

介護負担の軽減

今の時代の概念として、お葬式よりも生前の生活でいかに充実した日々を過ごせるかに重点がおかれ、葬儀を重要視する傾向が薄れ、僧侶への絶対的信頼感も薄れてきたようです。

人間は生きたようにしか死ねない。僧侶のお経で成仏できるとは、今の時代考える人はかなり少ないのではないでしょうか。

また核家族が進むなか、両親と同居する家庭も少なくなるなか、高齢化が進み医療・介護と過去にはない費用負担が増したこともその一因と考えられます。

生前に十二分に掛かる生活費用・介護費用・精神負担、それに本人たちが盛大な葬儀を望まない親世代。

高齢者の大多数が意見として、子供たちに過度の金銭的な負担はかけたくない。

昭和の時代/親世代は葬儀費用として100~200万円ほどの生命保険を掛け、葬儀費用に充てさせましたが、超高齢化の時代に入り、何らかの費用負担にそのお金は消えていってしまい葬儀どころではない現状が明らかな時代となりました。

お通夜を省略した、費用を出来る限りかけない『家族葬・一日葬』が今後ますます増え、費用を抑えた専門葬儀業者も増えることは間違いないでしょう。

 

まとめ

如何なる時代・いかなる形式の葬儀であれ、故人を敬い哀悼の誠を奉げる心に変わらぬ日本人の熱き思いは今も面々と引き続くものです。

故人を見送る形は如何様にも変化していくもの。変化の積み重ねにより歴史は紡がれていくのでしょう。