過去に日本人がテロの攻撃に会い人質になったとき、時の総理は人間の命は地球よりも重たいと発言、世界に衝撃をもたらした。
この発言をどのように捉えるかは個々の判断に委ねさせていただきます。
この世に絶対はないが、絶対と断言できる事とすれば、必ず死は訪れるという事。
どう死ぬか=どう生きるか。これは対比語ではなく同意語なのではないでしょうか。
死生観
人類は今70億人以上の人が地球に暮らしています。
この人類に統一した価値観を与えることは不可能なことでしょう。
価値観は、人種、性別、民族、宗教、国境、言語、科学、環境、教育、伝統、歴史、言伝え、経済状況、性格、要因はまだまだありますが、こうした影響で大きく区分けされる傾向がございます。
人間の価値観は、環境により掴み取るものより、与えられたものが遙かに大きいのではないでしょうか。
死生観について影響の大きい要因毎に分析いたします。
民族(人口)数
原語(方言は除く)の数。
正式には不明だが三省堂言語学大辞典によれば8千語以上とされる。
1位 | 中国語 | 12億9900万人 |
---|---|---|
2位 | スペイン語 | 4億4200万人 |
3位 | 英語 | 3億7800万人 |
4位 | アラビア語 | 3億1500万人 |
5位 | ヒンディー語 | 2億6000万人 |
6位 | ベンガル語 | 2億4300万人 |
7位 | ポルトガル語 | 2億2300万人 |
8位 | ロシア語 | 1億5400万人 |
9位 | 日本語 | 1億2800万人 |
10位 | ラフンダー語 | 1億1900万人 |
11位 | ジャワ語 | 8440万人 |
12位 | トルコ語 | 7850万人 |
13位 | 朝鮮語 | 7720万人 |
14位 | フランス語 | 7680万人 |
15位 | ドイツ語 | 7600万人 |
【参考;Wikipedia 】
承認された国家
世界の国の数: 196か国です。
これは,現在,日本が承認している国の数である195か国に日本を加えた数です。
最近では、ニウエ(2015年5月15日),南スーダン(2011年7月9日)及びクック(2011年3月25日)を承認しました。
国連加盟国数: 193か国です。日本が承認している国のうち,バチカン,コソボ,クック及びニウエは国連未加盟です。
他方,日本が承認していない北朝鮮は国連に加盟しています。
日本の大使館数: 現在、世界の195か国に日本の大使館が設けられています。(2019年1月現在)
【参考;外務省、世界の国家数 】
思想・哲学・宗教観
世界には莫大な数の思想家・哲学者・宗教の宗祖が存在して、多くの民衆に多大な影響を与え、その影響は生死観までも踏込むものです。
思想・哲学のため命を懸けた人は膨大な数であり、宗教観により死すことに喜びを感じる人たちがなんと多い事でしょう。
自己犠牲を犠牲と感じない、〇〇のためならと、布教拡大、教育改革、経済改革など献身的な働きをしてきた歴史がございます。
人間は思想哲学そして宗教のためならば、躊躇なく死を厭わない。
それほど人間の生きる指針になりえる、死をも恐れない強靭な鎧になることは歴史が証明しています。
科学・教育・倫理観
人は幸福であらねばならない、その為の学問や道徳。
この方程式は時の権力者により利用されねじ曲がった方向に導かれもする。
提唱者がどれだけの論を発してもあと次ぐ後継者により方向性を逸脱することもある。
絶対に正しい論が民衆の幸福につながる保証はない。
しかし一旦起きた大きな渦は、ときに倫理観を曇らせあらぬ方向に導く要因となり、その行動の善悪は歴史を見る以外判断できない。
だが例え間違った倫理であろうと起きた渦に民衆は逆らえない悲しい現実が横たわっています。
軍事・使命感
国家単位、民族単位、宗教単位、部落単位など状況により発生する軍事衝突。
規模はそれぞれ違えども根底に流れる方程式は同じでありましょう。
上に立つ権力者の思惑、組織の思惑、復讐心、一旦放たれてしまった矢のやり場。
個人の闘いと違い集団の戦いは異論を発言出来ない状態に陥る傾向がございます。
体制の意見が全てであり、故人の考え方は時に反・非〇〇と称される。
日本が倭の国であったころから続く人間のサガでしょう。
人は命令に逆らわず死に直面する。
人はもてる力の限りを死に対し慶び勇んで使命感と感じ前に進む。(100%では無いでしょう)
正義はそこにしか存在しないのです。故にのちの世の総括が必要なのです。
人間の死に対する捉え方は、致し方ない事に環境により大きな隔たりが生じます。
誰のための死か、当然自分自身の考え方のため。(環境に左右されていることを忘れがち)
人は死に直面したとき命は惜しい、死にたくないと思う事は自然の理です。
ここまでは積極的な死に方について論じてきましたが、本来の目的である如何に死を受け入れ対処するかについてお話いたします。
尊厳死
尊厳死の宣言=
『消極的な死・無意味な延命処置の拒絶・極力薬を使わない治療・安楽死の否定・痛みを感じない治療・孤独死にならない死』
定義とすればこのように考えていいのでしょう。
誰しもが死にたい訳ではありません、反対に貪欲になっても生きていたいはずです。
死にたくないでも死を考える?
人はいずれ死ぬのだから、どうせであれば最期の瞬間綺麗に死にたい。
鮮やかな死にざまを示したいし苦しまない・痛い思いはしたくない。
自然なかたちで天に召されたい。愛しまれたい・いい生き方であったと惜しまれたい。
リビング・ウィルの実行のためには、近親者に自分の意思を告げておかねばなりません。
意思の疎通が良くなければ、遺志に反した治療が実行されてしまう恐れがございます。
参考【関連記事;尊厳死(自然死)/リビング・ウィル(生前の意思)延命治療の拒絶 】
尊厳死宣言
あなた自身の尊厳死を受け入れてもらうためには、第三者の力が必要になります。
自分ではこう考えていた・書き記したものを引き出し深くしまっておいた。
葬儀後あなたの思いを実行されず発見されたケースが大変多い事は知っといてください。
尊厳死の思いは宣言してみて初めて効果が生じることを!
尊厳死に関しては、他の方法として公正証書の作成・遺言書の作成など種々ございますが、近親者に宣言でき快諾されるならば、簡易性が高く、最も安価な手段と言えます。
参考【関連記事;尊厳死と安楽死の違い/意義ある生き方のために考える生活習慣! 】
臓器提供の意思
あなた自身が臓器の提供をお考えになったときの方法として、臓器提供意思表示カードに記載する必要がございます。
※このカードは移植提供意思を表明するものですが、反対の提供しないとの意思も証明できるものです。
今多く普及し知られているのが、運転免許証の裏側に記載する方法。
移植の対象になるものとして『角膜・心臓・肺』など詳細に分類されております。
提供者には脳死判定が出るまで、数回複数の医師の判定基準を待たねばなりません。
脳死が死か否か国内の思いも五分五分の状態です。
『総論賛成各論反対』世間的評価として提供に賛成するも、いざ自分自身の家族となると難しい結論が出ますね。
【 参考;厚生労働省、臓器提供の意思表示 】
【参考; 臓器移植関連情報 】
【 参考;公益社団法人、日本臓器移植ネットワーク 】
生と死の挟間
移植の話でいつも問題に上がるのが、脳死は死かどうかである。
生命維持装置に繫がれている状況では心臓は動き、体温もある。
いま日本で移植手術が進みにくい現状は脳死の捉え方受け止め方にある。
過去の思想哲学や宗教では脳死について論じてこなかった。
移植は脳死状況のときでなければ不可能である。生命維持装置を外し心臓停止の状況を確認してからとなると移植には向かない。
山中教授のIPS細胞の研究が心臓をはじめ各種臓器を生成できるまで問題は続くでしょう。
法的障壁も横たわる、移植提供の規制などがそれにあたる。
尊厳死とは己自身だけの問題でなく、他者に対する畏敬の念を含め奉仕の心も養われてよいのではないでしょうか。
尊厳死が社会通念になれば移植件数も増大するのではないか。
献血もジュウスでごまかさないで、崇高なる行為として扱うべきである。
健康保険料の軽減とか、治療費の軽減など国として様々な方策を練って頂きたいものです。
臓器提供者には遺族が誇れる地域名誉賞のようなものも検討議題にと願う。
住民感情のなかに臓器提供は崇高な行為との認識を芽生えさせることが大切な政策ではないか。